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時代の中のパウリスタ

青鞜(ブルーストッキング)

青鞜(ブルーストッキング)は、明治44年に組織した平塚明子(雷鳥)を中心とする女流文学者集団。
機関誌『青鞜』を発刊し、評論や文芸作品を発表したり、日本婦人の開放を叫び、新思想を紹介して、日本の女性を鼓吹しました。
カフェーパウリスタの二階にあった女性専用の喫茶室「レディス・ルーム」にブルーのストッキングを履いた平塚明子、与謝野晶子、高村智恵子、伊藤野枝、尾竹紅吉、神近市子、田村俊子、松井須磨子(女優)、宇野千代がブラジルコーヒーを飲みに集りました。カフェーパウリスタは日本リベラリズムの発祥の地であると言えるでしょう。

銀座カフェーパウリスタで、コーヒーと共に日本の女性の解放と自立を熱く謳った青鞜派の一人、与謝野晶子の作品をご紹介します。

山の動く火 来る
かく云へど人 われを信ぜじ
山はしばらく眠りしのみ
その昔において
山は皆火に燃えて動きしものを
されど、そは信ぜずともよし
人よ、ああ、唯これを信ぜよ
全て眠りし女 今ぞ目覚めて動くなる

(与謝野晶子『そぞろごと』青鞜創刊号より)

モガ・モボ

モダンガール・モダンボーイ(和製英語)の略。

「パウリスタ五銭の珈琲今日も飲む」の作者である評論家の新居格が作った言葉です。
モガはダンサーや女給、タイピスト、ショップガールやバスガール、電話交換手などの新しい職業に就くようなタイプの女性を指しました。このモガファッションは、断髪、引眉毛をし、縞の洋服、挑発的なショートスカートで装い、中肉でやや反り身で歩くのが良いとされていました。

モボは髪はオールバック、ロイド眼鏡、派手なネクタイ、セーラーズボンといったファッションで新しがり屋のキザな青年のことで、エノケン(榎本健一)が歌った「洒落男」は日本中に流行しました。
新奇を求めるモガ、モボがカフェーパウリスタに押寄せ、一日四〇〇〇杯のコーヒーが飲まれました。

落男
訳詞/酒井透 曲/F.Crumit 歌手/榎本健一

俺は村中で一番 モボだといわれた男
うぬぼれのぼせて得意顔 東京は銀座へと来た
そもそもその時のスタイル 青シャツに真赤なネクタイ
山高シャッポにロイド眼鏡 ダブダブなセーラーのズボン (以下省略)

大正モダンの中心地銀座でカフェーパウリスタのコーヒーを飲むモダンボーイの粋な姿がうかがえます。

銀ブラ

語源は銀座パウリスタに一杯五銭のコーヒーを飲みに行くこと。

一般には「銀座通りをブラブラ散歩する事」(広辞苑)と信じられていますが、銀座の銀とブラジルコーヒーのブラを取った新語で、大正二年(大正四年説もある)に慶應大学の学生たち(小泉信三、久保田万太郎、佐藤春夫、堀口大学、水上滝太郎、小島政二郎)が作った言葉です。
上記の「銀ブラ」は大正の文化人によって書かれた下記の文章に由来しています。

水島 爾保布(におう)(新東京繁盛記)

「銀ブラ」という言葉は其最初、三田の学生の間で唱えられた。

佐藤 春夫(詩文半世紀)

慶應で相手がつかまると別に相談するまでもなく、足は自然と先ず一斉に新橋の方面に向かい、駅の待合室で一休みしつつ旅客たちを眺めたのち、「パウリスタ」に行ってコーヒー一杯にドーナツでいつまでも雑誌に時をうつしていると、学校の仲間が追々とふえて来る。みな正規の授業をすませた上級生たちである。芝公園を出て新橋駅待合室経由パウリスタというのが我々の(銀ブラ)定期行路となっていた。

安藤 更正(銀座細見)

銀座を特別な目的なしに、銀座という街の雰囲気を享楽するために散歩することを「銀ブラ」というようになったのは大正四年頃からで虎の門の「虎狩り」などと一緒に、都会生活に対して、特別警技な才能を持っている慶應義塾の学生たちから生れてきた言葉だ。