森のコーヒー

- 生態系を保ち、自然環境機能を活用
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- 化学肥料・農薬不使用
- 農園内に自然の森を残している
- 地中の生物が良質の土壌をつくる
- 生態系のバランスが病害虫被害を防ぐ
日本における珈琲の普及・宣伝のため、
1910年、カフェーパウリスタは
創業しました。
ときは1908年4月28日、午後5時50分。
日本からブラジルへの最初の移民793名を乗せた移民船「笠戸丸」が、神戸から出港しました。
当時、世界の50%以上のコーヒーシェアを持っていたブラジルは、奴隷解放後の労働力不足を補うため各国に労働者を求めましたが、賃金労働者と奴隷の区別のつかないブラジル園主と外国人労働者の間でトラブルが頻発し、他国からの怒りを買い労働者は帰国してしまいます。
一方、日本では人口増加と日露戦争後の失業者問題が深刻化していました。解決策として、水野龍は人種偏見が少なく食糧も豊富なブラジルへの移民を計画し実行しました。
日本移民は礼儀正しさと社交性で歓迎されたものの、言葉や労働環境の困難に直面し、多くの困難と忍耐を強いられます。ひと旗あげて帰国しようと意気揚々だった人々も、帰国は叶わないと悟らざるを得ませんでした。
また、水野自身もこの移民事業によって大きな赤字を抱えます。
この様子を見て、ブラジル政府が水野にある話を持ちかけました。「大きな損を幾分かでも埋められるよう、年間1,000俵のコーヒー豆を無償で提供したい。ついてはこれを、農園労働の重要性と、コーヒーそのものを周知してもらう機会としてほしい。日本がいずれ西洋を凌駕する民族発展をみるのは確実であり、生活様式が進化すれば、コーヒーは日本の嗜好に迎えられるに違いない」。
コーヒーはいわば、ブラジルで働く日本移民の努力の結晶。日本でこれを広め、需要を伸ばすことで、彼らへの大きな理解と助けを得られると踏み、水野はこれを承諾、政治家・大隈重信らの助けを借りて、1910年、合資会社カフェーパウリスタを設立しました。
コーヒーの普及宣伝のため、直営店カフェーパウリスタを銀座、浅草、丸ノ内ほか、全国に展開し、喫茶店全盛時代の幕を開きました。
嗜好品が甘酒や御汁粉だった当時、コーヒーは当時の日本人になかなか受け入れられませんでした。
予想以上の苦労を強いられた水野は、「そもそもコーヒーとはどんな場所で飲まれているのか?」という疑問から西洋の「カフェー」を知り、フランスはパリの有名なカフェー・プロコプへ視察に向かいました。
するとそこでは、多くの老若男女が各々テーブルを挟み、正装した給仕が恭しく運んできたコーヒーを飲みながら楽しそうに会話を交わしている光景が広がっていたのです。
「この場所が日本にあれば」。感銘を受けた水野は、早速このプロコプを模して、東京銀座に「銀座カフェーパウリスタ」を開業しました。
ブラジル政府からの無償コーヒー豆を活かし、「もり、かけ、銭湯3銭」という時代に、「5銭出せば誰でも豪華で文化的な雰囲気に浸りながら、西洋のハイカラな飲み物が飲める」とたちまち評判となりました。
当時東京で最も進歩的な文化人が集まる場所であったことから、「銀座カフェーパウリスタ」はすぐに文化人や新聞記者のたまり場になりました。朝9時から夜11時の営業時間内で、多い日にはおよそ4,000杯のコーヒーが供されたといいます。
慶應の学生たちは銀座のカフェーパウリスタで一杯5銭の珈琲とドーナツを味わいながら、人生と文学談義に花を咲かせました。文化人が集うこの場所は、学生にとって刺激的な空間であり、コーヒーを片手に交わされた会話は、当時の文学にも影響を与えました。
芥川龍之介、森茉莉、井上ひさし、菊池寛、谷崎潤一郎、与謝野晶子、高村光太郎、森鴎外、アインシュタイン、ジョン・レノン…そうそうたる顔ぶれが、愛し、通い詰めたこの場所が、彼らの作品風景の中に溶け込んでいます。
銀座カフェーパウリスタは、異文化であるコーヒーとともに、日本の文化的交流を静かに見守り、コーヒーは日本に深く根ざしていったのです。
1923年、カフェーパウリスタ設立時から12年間続いたブラジル政府からのコーヒーの無償供与が期限切れを迎えました。
日本でコーヒー文化を発信し続けたカフェーパウリスタに転機が訪れます。
1923年、カフェーパウリスタ設立時から12年間続いたブラジル政府からのコーヒーの無償供与が期限切れを迎えました。元来コーヒーの普及・宣伝事業を主な目的としていたカフェーパウリスタは、その役割を果たしたことで焙煎卸業へと舵を切りました。
また、同年に発生した関東大震災により、都内にあったカフェーパウリスタのほとんどの店舗は全壊してしまいました。その後、喫茶店経営から手を引かざるを得ませんでしたが、1970年に現在の場所で銀座カフェーパウリスタがリニューアルオープンし、現在の形となりました。
創業者の水野龍から受け継いだ精神を新たな形で表現したいと模索していた私たちに、極めて珍しい化学肥料・農薬不使用コーヒーの生産者の方々との出会いが訪れました。
「こんな農園、見たことがない…。」言葉を失うほどの出会いが訪れたのは今から30年前のこと。
ブラジルの「サント・アントニオ農園」は豊かな森そのものでした。
農園の持ち主、ジョン・ネット氏は1980年代から有機・無農薬栽培によるコーヒーづくりに取り組んできた先駆者のひとりです。
ジャングルのような森の中で日陰樹(高木樹)は、その下にあるコーヒー樹木や土の微生物を守ります。このようにして生態系の調和が整った環境にてジョン・ネット氏のコーヒーはつくられています。
ジョン・ネット氏が取り入れた自然農法。そのコーヒーは、自然な甘み、明るい酸味、そして深い味わいがあり、ブラジルコーヒー本来の魅力に満ちていました。
一般的にコーヒー栽培はコストダウンと生産性を考えて、山を切り開いて大量生産をします。またコーヒーが病害に掛からぬよう殺虫・殺菌の農薬を使います。
カフェーパウリスタではジョン・ネット氏が理想とする自然農法や有機栽培が実践されている生産者で「森のコーヒー生産者グループ」を結成し、森のコーヒーをつくりました。
化学肥料や化学農薬に頼らずコーヒーを栽培することは難しく生産者は知識と技術を持っていないとつくれません。森のコーヒー生産者グループの生産者はコーヒー栽培に情熱を捧げています。
カフェーパウリスタでは次の三つの条件を満たす生産者を
「森のコーヒー生産者グループ」として認定し契約栽培を行っています。
ブラジル有機栽培コーヒーのパイオニアの一人。自然農法にこだわり、自らの農園を自然の“森”のようにしてコーヒーを栽培。
IBD化学肥料・農薬不使用
認定原料豆
ブラジル有機栽培生産者の中でも一番の理論家。有機認証だけでなく、自然環境系の認証やフェアトレード認証も取得している。
JAS化学肥料・農薬不使用
認定原料豆
芸術的な品質のコーヒーを作る有機篤農家。毎年行われる世界品質コンペティションでも、常に上位を占めている。
IBD化学肥料・農薬不使用
認定原料豆
有機栽培理論のなかでも、特にバイオダイナミック農法を実践。月やその他の天体の動きが植物に与える作用を重視している。
DEMETER化学肥料・農薬不使用
認定原料豆
森のコーヒーは、年間の収穫量が限られており、大量生産ができない為、契約栽培をしています。近年はブラジルだけでなく、ジョン・ネット氏が理想とした自然農法が実践されているエチオピアやペルーの農園の生産者も森のコーヒー生産者グループに加わってもらっています。
カフェーパウリスタの創業理念である「生産者とお客様の架け橋になる」という想いのもと、私たちは生産者の方々と直接取引を行い、お客様においしいコーヒーをお届けしています。
カフェーパウリスタは、"ブラジル移民の父"と呼ばれた水野龍により創業しました。
そこには、遠い異国のコーヒー農園で汗を流すブラジル移民たちの苦労に報いたいという想いがありました。水野龍は日本人にブラジルコーヒーを広めることに尽力し、明治・大正の文人達に愛される名店を築き上げてきました。
私たちは水野龍の「生産国と日本の架け橋になる」という創業理念を受け継ぎ、生産者と直接取引してお客様においしいコーヒーをお届けするという形で実現させています。
商社からコーヒー豆を買うのではなく、代表の長谷川自らが直接農園に赴いて品質を見極め、取引の交渉を行っています。そして素晴らしいコーヒーを作るために日々奮励している生産者たちと長期的な関係を結び、毎年定期的に高品質コーヒーを仕入れています。
その豆は日本の皆様の笑顔をつくり、それが生産者の笑顔となり、そしてパウリスタの笑顔ともなります。
この笑顔の連鎖を作ることこそが、当社の誇りなのです。
銀座店では、歴史を感じながら、
穏やかな時間を楽しむことができます。
また、「コーヒー」・「スイーツ」などの
安心安全な食を
ご自宅へお取り寄せする
「オンラインショップ」もご準備しております。
あなたはどちらで楽しみますか?